中医学・東洋医学とは
中医学の概要、中医学の疾病観、中医学の診療の特徴 などを紹介いたします
中医学(中国医学・東洋医学)は中国大陸を中心として発展・発達し、現在も中国・日本・韓国をはじめ多くの国で実践されている約3000年の歴史を持つ伝統医学です。日本国内の多くの医師が処方するようになった漢方薬や鍼灸師が行う鍼灸治療も中医学の治療手段のひとつです。
中医学の疾病観と診療
臓腑
五臓六腑(心・肺・肝・脾・腎・胃・小腸・大腸・胆・膀胱・三焦)のこと。
中医学では人体の様々な機能は臓腑により作り出されていると考えられている。
気血津液
人体の生命活動を維持する3種の基本物質。
- 気:強い活力を備え、体内を動きつづける、目では見ることのできない微小な物質。
- 血:脈中を流れる赤い液状物質。現代医学における血液に近い。
- 津液:体を構成する正常な水分の総称。
中医学では、人体の生命活動は五臓六腑を中心とする「臓腑」の働き、食物から体内で作り出される「気・血・津液」の働きにより営まれ維持されていると考えられています。臓腑の働きは、臓腑それぞれを構成する気・血・陰・陽と呼ばれる4つの物質の作用と平衡により作り出されています。また、臓腑の気血により養われる目や皮膚などの組織・器官の機能や状態には、臓腑の状態が反映されていると考えられています。このように、外部から確認できる臓腑の表現を「象」と呼び、象から臓腑の状態を推測する考え方を「蔵象」と呼んでいます。
中医学における病とは、生命活動の根本である臓腑の気血陰陽および気血津液の機能や平衡に失調が生じた状態を指すとされます。病を引き起こす原因を病因と呼び、病因には、気候の異常変化など人体の外部から臓腑・気血津液の失調を引き起こす外因、感情の乱れなど人体の内部に由来する内因、生活習慣の乱れなど外因・内因以外の病因である不内外因の3つがあります。病因により発病すると、失調した臓腑状態に対応し、「象」には様々な不良な表現が現れます。このような不良で健康状態では現れない象を「症」または「症状」と呼びます。
診療者は、「四診」と呼ばれる診察方法を用い、患者から多角的に象を収集し、蔵象など中医基礎理論に照らし合わせ、臓腑・気血津液にどんな失調が生じているかを推測します。臓腑・気血津液などの失調状態の総括を「証」と呼び、証を推測する過程を「弁証」といいます。四診と弁証を応用し、病の本質にあたる臓腑や気血津液の失調を捉えたら、この失調を是正する治療方針を立て、治療を行います(「論治」)。中医学における治療の本質は、失調をきたしている臓腑の気血陰陽や気血津液のバランスを調整することに他なりません。
治療方方には、漢方薬や食物の偏性を応用する薬膳などの「内治法」、体表部の経絡・腧穴(ツボ)への刺激を利用する鍼灸や推拿などの「外治法」があり、特に「漢方薬」と「鍼灸」は、中医学の二大療法と呼ばれています。これらの療法を活用し、臓腑の気血陰陽や気血津液などの失調を整えることができれば治療は完了し、不良な象である症状は消え、正常な象(健康)が戻ります。
中医学小話
中医学にまつわる逸話を紹介します。
杏林
「杏林」は中医の別称で、人々は医術の優れた医者を「杏林高手(名人)」と呼び、中医薬に関する故事を“杏林佳話”と呼びます。中医はどうしてこんなに杏林と結びつけてよばれるのでしょう。その理由は有名な故事にあります。
三国時代、呉の国に董奉という有名な医者がいました。彼は医術に精通し多くの難病を治しました。董奉が交州で開業しているとき、ある役人が重病にかかりました。ほかの医者たちがうまく治療できないなか、董奉は丸薬を3つ飲ませただけで患者はすぐに意識を取り戻し、数日の治療を経て完全に回復しました。
董奉の医術の評判はすぐに広がり、多くの患者が来診しました。患者を一人治すたびに、董奉はいつも同じ要求を繰り返します:病気が治っても診療費はいりません、その代わりに必ず私の家の回りに病状が重い人は5本、軽い人は1本ずつ杏の苗を植えてください、と。董奉の治した患者は大変多かったため、数年後、彼の家の周りにはとても多くの杏の木が茂り、立派な杏林ができました。
木々にたくさん杏が実り、遠くまで杏の良い香りがただよう季節になりました。このとき董奉はまたおかしな要求を出しました:杏を買いたい人がいたら、お金はいりませんから同じ重さの穀物と交換してください、と。人々はこの話を聞いてとても不思議がりました。あるものは「あなたのご家族はそんなに多くないのに、どうしてそんなに大量の穀物が必要なのですか」と尋ね、またあるものは「穀物で薬を作るつもりなんじゃないか」と言いました。董奉は話を聞いてもなにも答えません。彼は杏林の隣に大きな穀物庫を建て、人々が持ってきた穀物をその中にしまいました。数日後穀物庫がいっぱいになり、董奉はみんなにこう言いました:この穀物の山は生活に困っている人たちを助けるためのものです。今後食べ物に困った人がいれば、すぐここに取りに来てください。
この話を聞いて人々はただただうなずき、董奉の人柄と道徳を称えたのでした。
その後、人々は杏林を見るとすぐに董奉の優れた医術と高尚な医徳を思い出し、この優秀な医者を記念し「杏林」を中医の別称にしたのです。
瓢箪(ひょうたん)
瓢箪を見たことがありますか。
中国では昔、多くの医者が瓢箪に丸薬を入れ携帯していたそうです。このことから「薬瓢箪」も中医医師の象徴になっています。
では、いつから医者が瓢箪を使うようになったのでしょう。
東漢の時代、費長房という人はとても医術を学びたいと思っていました。ある日、彼は一人の老人が街で薬を売り、老人の薬を飲んだ患者はみなあっという間に良くなったという話しを耳にしました。費長房はすぐこの老人に弟子入りしたいと思い、こっそり老人のあとをつけ小さな旅館に入りました。ところが突然、老人が煙と化し、壁に掛けてあった瓢箪の中に入ってしまったのです。費長房はこの老人はただ者ではないと考え、さらに弟子入りの決意を深めました。
次の日、費長房は旅館の瓢箪の掛けられている場所でたくさんのご馳走を用意して老人が出てくるのを待っていると、ほどなくして老人が瓢箪から飛び出してきました。費長房はすぐさま跪き大声で「先生、先生」と叫びました。老人は費長房の態度が大変誠実で真剣であったため弟子にとり、すぐに医術を教えました。
その後、費長房は名医に成長し、老人を記念して外に出るときはいつも瓢箪を身に付けていたそうです。瓢箪は中国語で「葫芦」(húlu)と発音しますが一文字目の「hú」の発音は「壺」と同じなので「懸葫」(瓢箪をつり下げる)が時間をかけて「懸壺」に変わっていったそうです。人々は「懸壺」という言葉を耳にするたび費長房弟子入りの故事を思い出すので、「懸壺」が中医を指す言い方として広く伝わったとされています。
棄官従医(官を棄て医業にたずさわる) :皇甫謐
中国現存最古の針灸学専門書『鍼灸甲乙経』は3世紀、著明な医学者・文学者・歴史学者である皇甫謐により編纂され、その後現代にいたるまで針灸学の重要教材に位置付けられています。
皇甫謐は若い頃、文学者になろうと考えていました。彼は畑仕事をするときも本を持って出かけ、休憩時間に取り出しては読み大量の書籍を閲読しました。当時人々は彼を「本の虫」と呼び、ある人は「こんなに精をだして本を読んでいたら体と精神を悪くするよ」と忠告しましたが皇甫謐は気にせず読書を続け、「朝、道理を知ることができたら晩には死んでもいい」と答えました。
このように理想のため必死で勉強を続けているさなか、ついに彼は病に冒されてしまいます。42才のとき彼は風痺症を患い、四肢が重だるく痛み、体は痩せ力が入らなくなりました。病は自殺を考えさせるほど彼を苦しめましたが、何も成さないまま死んでしまうのは嫌だと悪い考えを振り払いました。このとき皇甫謐は、人にとって最も尊いものは命であり、それぞれの理想を実現するには健康を保たなければいけないと意識するにいたりました。
それから彼は医学の研鑽を始め、特に鍼灸に精通します。当時の皇帝は皇甫謐の才能を知り、いくども彼に官職を授けましたが、皇甫謐はすでに医学に心を奪われ全てを忘れてしまうので皇帝に手紙を書き自らが任官できない理由を説明したといわれています。
皇甫謐は医学の研究中に古代針灸学の内容が何冊かの書物に重複していること、文字が難解で内容も分かりにくいことを発見し、これらの書物に対し整理と改変を行い『鍼灸甲乙経』を書き記しました。『鍼灸甲乙経』には蔵象・気血・経絡・針法の理論、各種疾患の弁証と鍼灸治療の具体的な運用などの論述があります。
この書物は全部で十巻あるので、それぞれを甲・乙・丙・丁など十干で命名しました。「甲乙」は名前の順序を指し、一部が切り取られて書名になったとされています。
刻碑済衆(碑を刻み民衆をすくう) :李東垣
李東垣は中国医学史上有名な「金元四大家」のひとりで、「脾胃学説」の創始者でもあります。彼は医術に優れ各種の疾患をじょうずに治すばかりでなく、金銭の事を考えずいつもただ人々を病の苦しみから解き放つことだけを考えていたので、多くの人から深い尊敬を受けていました。
ある年、「大頭瘟」という病が流行しました。「大頭瘟」にかかると喉が痛み、顔が赤く腫れ、あるものは頭が西瓜のように大きく膨れ、それは大変な痛みでした。当時人々はこの病に対してほとんど何も知らず、以前の医書にも全く記載がありませんでした。多くの医者はそれぞれの経験に基づいて治療するしかなかったのですが、やはりあまり効果は良くありません。またある医者は誤った治療を施し、多くの人々は苦しみながら逝きました。
このような状況を目の当たりにし李東垣はとても焦り、「このようなまぬけな医者にでたらめな治療をさせるより、私が新しい治療方法を探し出した方がましなのではないか」と思いました。それから、彼は寝食を忘れ歴代の医書を詳細に研究し、患者の家を訪れ症状を観察しました。不断の努力を経て、李東垣はついにこの伝染病の治療法剤-普済消毒飲を創りだすことに成功しました。
このとき、ある人が彼に「病が流行している今、この薬を高く売れば大金持ちになれますよ」と勧めましたが、李東垣はこれを聞いて憤慨し「人の命を利用して金儲けをするようなことは絶対にしません。医者は病による民衆の苦しみを解くためにいるんですよ」と言うと、板に薬の処方を刻むと賑やかな街の真ん中においてきました。すぐに、人々はその板を見つけ、そのなかのひとりがが処方にしたがって薬を買って飲んでみると、なんと本当に病気が治りました。その噂はあっという間に広がりみんなが競って処方を書き写し、薬を買い求め服用し、ほどなくこの病の患者はみな元気になりました。
その後、人々はこの薬の方剤を石碑に刻み、李東垣の金銭のためでなく、ただ民衆を想う高尚な医徳を褒め称えました。普済消毒飲は「仙方」として今日まで広く伝わっています。
起死回生:扁鵲
扁鵲は戦国時代、天下にその名をとどろかせた名医です。
ある日、扁鵲は皇太子が今朝突然倒れお亡くなりになったと悲しむ人々を見かけましたが、長年にわたる医業の経験からこの凶報に対して疑いを感じました。そこで、彼は急ぎ国王に謁見し皇太子がお亡くなりになった時の状況を聞き、少し考え「皇太子はお亡くなりになっておりません。これはきっと“ 尸厥 ”という病でしょう」と言いました。国王は感激してすぐ扁鵲に皇太子の治療をさせました。
扁鵲が鍼灸の方法を用いると、あっという間に皇太子は意識を取り戻しました。その後、熱く蒸らした布を皇太子の脇に挟み、しばらくすると皇太子はもう座れるようになったのです。最後にいくらかの薬を処方しました。
数日が経過すると皇太子はすっかり健康に戻りました。
このことから扁鵲の名は天下にとどろき、人々は彼の死者を復活させるかのような優れた医術を「起死回生」の言葉で形容したそうです。このことわざは今日まで広く伝わっています。
中医名言集
中医学に関する古典の中から、臨床で活用されることの多い名言を紹介します。
陰陽五行
陰陽者、天地之道也、万物之綱紀、変化之父母、生殺之本始、神明之府也
『黄帝内経・素問・陰陽応象大論』
- この名言は簡単ながらはっきりと陰陽学説の基本観点を述べている。即ち陰陽は自然界の基本的な法則であり、天地万物の生長・発展・変化の根源である。自然界一切の物事には全て陰と陽の両面が存在し、しかも陰陽の運動変化により事物の発展・変化は推動されている。
陰陽者、有名而無形
『黄帝内経・霊枢・陰陽系日月』
- 「有名」とは陰陽が事物の機能・特性を概括する代名詞であることを指し、「無形」は陰陽が抽象的な概念であり具体的な事物を指すものでないことを表している。
陰在内、陽之守也 ; 陽在外、陰之使也
『黄帝内経・素問・陰陽応象大論』
- 陰は内を主り、陽の守りであり、陽は外を主り、陰の使いである。陰陽はそれぞれ内外を主り、決して離れてはならない。陰は陽に依存し、陽は陰に依存する。双方が互いの存在を自らの存在前提にしている。陰陽のこのような関係を「陰陽互根」と呼ぶ。
陽化気、陰成形
『黄帝内経・素問・陰陽応象大論』
- 自然界万物の生成・発展と変化は陰陽両者の相互作用から離れることができない。陽は動・散を主り、万物の気化を促進する。陰は静・凝を主り、万物を形成する。人を例にすれば、人体の気は無形の精微物質であり陽に属す;精血津液は有形の精微物質であり陰に属す。陰精と陽気は互いに転化することができ、精血津液が気に転化するには陽の気化作用に頼らざるをえないし、気が精血津液に転化するには陰の形成作用が欠かせない。このように自然界万物の生成変化や、人体の生理活動過程の物質代謝は全て「陽化気、陰成形」の法則の中にあるのである。
蔵象
蔵居于内、形見于外、故曰蔵象
明・張介賓 『 類経 』
- 最初に「蔵象」という言葉が登場するのは『 黄帝内経・六節蔵象論 』である。「蔵」は体内に蔵される臓腑組織器官を指し、「象」は外に表現される生理・病理現象を指す。即ち“蔵居于内、形見于外、故曰蔵象”とは内部にある臓腑と外部に生じる現象の間の密接な連携を示し、中医学の人体生理・病理変化に対する認識方法を反映している。
経脈者、臓腑之枝葉;臓腑者、経脈之根本
明・張介賓 『 類経 』
- 人はひとつの有機的な整体であり、五臓六腑・四肢百骸・五官九竅・皮肉筋骨の間の密接な連絡は、主に十二経脈により実現している。十二経脈はそれぞれ一定の臓腑に属絡し、その機能と臓腑の機能は密接に連携している。経脈及びその分支は縦横に交錯し、裏に入り表に出で、上を通り下に達し、全身に分布して、全身各部位において臓腑が機能を発揮させるようにすることができる。同時に経絡は臓腑気血の充養に頼っているので、経絡は臓腑の枝葉のようであると言い、臓腑は経脈の根本であると言っているのである。
臓病難治、腑病易治
『 難経・五十五難 』
- 一般的に邪が表にあれば治しやすく、裏にあれば治しがたい。生理機能から見れば、五臓は精気を蔵しもらさず、六腑は水穀を伝化し蔵さない。五臓が内蔵する精・気・神・血・津液など生命活動を維持する基本物質は、病変が起これば多くは正気を損傷し、回復しがたい。六腑は主に水穀の受納・腐熟・伝化と糟粕の排泄を行っており、病変が起こっても病状は比較的単純であり、人体正気の損傷は比較的小さく回復しやすい。
精・気・血・津・液
精者、身之本也
『 黄帝内経・素問・金匱真言論 』
- 「精」は精微・精華の意味である。精は人体を構成し人体生命活動を維持する基本物質である。腎は先天の本であり、蔵精を主る。人の生長・発育過程は腎中精気の盛衰と極めて密接な内在関係がある。
気者、人之根本也
『 難経・八難 』
- 中医学における気は、人体内に存在する極めて微小で強力な活力をもつ精微物質を指す。気には強力な活力があるため、不断の運動を続け、人体の生理活動に対し推動と温煦の働きを果たしている。
気聚則形成、気散則形亡
清・喩昌 『 医門法律 』
- 人は自然界の産物であるため、気も人体を構成する最も基本的な物質である。気は人体を構成し生命活動を維持する基本物質であるため、もし気の生成が十分であれば機能は旺盛で、生命活動は正常で規律がでる。もし気虚で不足、或いは外散し亡失すれば、生命活動は停止し、形体は消失する。
経絡
学医之道、不可不明乎経絡
元・滑寿 『 十四経発揮・序 』
- 経絡を理解せずに医業を行うことは、明かりを持たずに夜道をあるくのと同じで、明確な診断と良好な治療効果が欲しいと思っても非常に困難な話しである。医を学ぶものは経絡を良く理解する必要がある。
陰陽相貫、如環無端
『 黄帝内経・霊枢・営衛生会 』
- 営気は陰、衛気は陽、営は脈中を行き、衛は脈外を行く。両者は全身を流れ、動きが止まることはない。十二経脈陰陽表裏の順にしたがって巡り、周っては始まり、環のように端がない。
凡十二経絡脈者、皮之部也
『 黄帝内経・素問・皮部論 』
- 十二皮部は、十二経脈とそれに属する絡脈の皮表における区分であり、十二経脈の気が散布する部位である。
病因と発病
百病生于気也
『 黄帝内経・素問・挙痛論 』
- おおよそほとんどの疾病の発生はみな気と関係している。
風者、善行而数変
『 黄帝内経・素問・風論 』
- 「善行」とは風邪による致病には病位が遊走し定まらない特性があることを指し、「数変」とは風邪による致病には症状に決まりがなく、発病が速い特性があることを指している。
湿為重濁有質之邪
清・葉桂 『 臨証指南医案・湿 』
- 湿の性は重濁粘稠で、水の類で、有形の邪である。ゆえに湿邪による病では、気機の阻遏がおきやすいため、胸悶脘脹、小便短渋、大便不爽などがよく見られる。
病機
陽勝則熱、陰勝則寒
『 黄帝内経・素問・陰陽応象大論 』
- 陰陽偏勝の形成は陰陽属性の異なる病邪が人体に侵入し、引き起こされる病理変化の陰陽性質の多くは病邪の陰陽属性と一致する。即ち陽の性質を持つ邪気による病の多くは熱証であり、陰の性質を持つ邪気による病の多くは寒証である。
陰虚則内熱、陽盛則外熱
『 黄帝内経・素問・調経論 』
- 陰陽の相互制約により生理の平衡は保たれている。体内陰液の消耗が多すぎ陽熱が相対的に強まると、陰虚により陽の産生する熱が抑えられなくなる、これを内熱という。外邪が侵襲し、体が抵抗して表の衛外の陽気が盛んとなり、邪正相争が生じ発熱が出現する、これを外熱という。
養生と予防
治病必求于本
『 黄帝内経・素問・陰陽応象大論 』
疾病を治療するさい、疾病の根本原因を探し出さなくてはならず、疾病の本質をとらえ、疾病の根本原因に対し治療を行うべきである。
治病之法、必以穀気為先
金・劉完素 『 素問・病機気宜保命集・本草論第九 』
この言葉は治療中の食補食養の作用を強調している。劉完素は金元四大家の一人、寒涼学派の開祖であるが、雑病治療の過程で寒涼ばかりを強調するのではなく、食補食養を提唱し胃気重視の観点がうかがわれる。